鬘司庵 文楽人形 鬘《かつら》展示室
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*文楽(ゆかり)縁の地に仕事場兼展示館を
 
坂本 ここをお仕事場にされているんですか。
名越 今はちょうど巡業月で若い子は巡業に出ていて、ここで作業していますが、もうすぐ大阪公演が始まりますので劇場に拵(こしら)えに行きます。その時は留守になりますが、まあ、ここは仕事場と展示館というか。この地は後ろに四天王寺があり、初代義太夫が生まれた文楽縁の地なんです。ちょうどこのビルを娘婿が社長をしている会社が管理していた関係もあって、つくった鬘(かづら)をみんなに見てもらったらというので、展示館を今年七月につくったんです。名越昭司の司と鬘を司る、それで鬘司庵(まんじあん)としたんです。文楽のPRにもなるしね。
坂本 教室もされているとか。
名越 乙女文楽といって一人舞台のグループがあるんです。文楽の場合は三人遣いですが、一人で人形を遣います。そういう人とか、また創作人形の人とか、日本髪がうまくできないからと教えてくれとか、いろいろな人が。
坂本 以前はどこでお仕事を。
名越 劇場の三階に頭床山部屋(かしらとこやまべや)があり、そこで仕事をしてきました。それ以前は朝日座、その前は四ツ橋の文楽座、ですからもう五二年程になりますね。今は司人形かつら工藝という会社をつくっていますが、それまでは文楽協会の職員、移管されてから文楽劇場の職員です。六五歳で一応定年なんです。
   
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*叔父に師事してから文楽の道へ
 
坂本 もともとは東京のお生まれとか。
名越 深川、今の江東区です。母親の兄弟が堺で美容を、昔は美装院と言ってましたが、やってたんです。叔父の酒井正己が鬘をつくったりしていた。そこへ六つくらいの時に養子にいったんです。それがこの道へ入るきっかけになったんでしょうね。ややこしい仕事をするのは「いややいやや」と思っていたんですが。
坂本 将来もっと違うものに―。
名越 戦争中は軍人になろう思ったりね。堺中、今の三国ヶ丘高校に行っている時に戦争で家が焼けて、岡山へ疎開して中退、それで運命が変わってしまった。そこから神奈川県立農事講習所に三年程いて、種苗会社へ勤めたんですが、朝鮮動乱の時に辞めてしまった。することがないので、大阪に帰って叔父に「鬘を教えてくれ」と泣きついたんです。ところが叔父は「いやお前みたいな、腰の落ち着かんやつには教えられん。この仕事は大変な仕事だ」と。だけどすることないからね、教えてくれと。それで昭和二六年、文楽人形の鬘師の叔父に正式に師事して鬘の技術を学んだということです。
 そこでしごかれてしごかれて、明けても暮れても人毛一本一本を鬘の割れ目というか、そこに植え付ける。根性を試されたんでしょうね。
坂本 血のつながった叔父様ですよね。それでもそれくらい厳しく。
名越 そう、厳しくしなかったら覚えられへん。それで二年程経った昭和二八年、文楽の床山の佐藤為治郎さんが「きてくれんか」という話になって、床山の修行がまた始まった。
 鬘というのは蓑傘状に編むように一本一本銅板に結んでつくっていきます。床山というのは結髪師です。この鬘・床山の両方できるということは髪型によって毛の量、長さがわかってくるからいい仕事ができます。文楽にはたくさんの種類がありますから。
 でも覚えるのは早かったですね。家の仕事を子供の時から見ていますし、当時は地頭で日本髪を結う人もいたからね。門前の小僧みたいなもんです。
 
坂本 元々器用だったんですか。
名越 子供の時から器用でね。模型飛行機なんかつくって、小学校の五年生くらいの時、大会で優勝したりしました。叔父のDNAというか、母親のほうの遺伝で、その流れがあるんでしょうね。
 
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ほとんど一人で仕事をしてきた。
苦しかったこと、いろいろ誘惑もあったけど、
一人という責任が私を支え、
今日まで続けてこられたんだと思いますね。
後は後継者のことが唯一氣がかりです。

 
*昔は専門の床山はいなかった
 
坂本 鬘師と床山は分かれてたんですね。
名越 私の場合は、両方に師事して自然と一人で鬘をつくり鬘を結っていますが、歌舞伎では現在も鬘師と床山は分かれています。
坂本 髪型もたくさん種類が―。
名越 文楽の場合、だいたい基本は一二〇種類くらいを覚えないといけません。その基本からいろいろ変化させる。同じ髪型でも掛け物とかくしこうがい櫛笄の変化でまた役が変わります。
 佐藤さんに付いたのは三年程で、それからはずっと一人です。もう夜なべしたり、劇場で寝泊りしたりもしました。当時、時代劇が盛んな時で、あるテレビ局から話もあったのですが、もう、その時は佐藤さんもお亡くなりになっていて私一人で、責任がありますからね。まあ続けていてよかったんでしょうね。
 ですから、わからないことは人形遣いの師匠から聞いたりしました。人形遣いの師匠も私の師匠です。
 戦前は、床山というのは専門がいなかったんです。だから武家の娘を町方の娘の髪にしていたりと、案外間違ったこともあって、それを手直ししたりしました。歌舞伎の役者さんは、自分で鬘をかぶって研究しながら、いわゆる時代考証とかしますが、無頓着な人形遣いの先輩もいたんですね。
 
*油を使わずに髪を結う
 
坂本 だんだん形とか、やり方が変わってきたとかということはあるんですか。
名越 それはあります。江戸時代は頭に穴をあけて毛を入れたり、猫の皮を土台に引っ付けたりとかもありましたが、今は銅板です。こういう変化はあります。髪型でも女形は固いびん鬘つけをしていた時代もありましたが、戦後はふわっとした髪型になった。頭はごふん胡粉という貝殻の粉とにかわ膠を混ぜた塗料ですから、歌舞伎みたいに柔らかい鬘つけだと、染み込んで色が塗れないようになる。ですから油を全然つけず、さら毛で結い上げます。
坂本 でもきれいにまとまって。
名越 そう、まとめるのが大変。特別の櫛で結い上げてからヘアスプレーを。
坂本 えっ、スプレーを。
名越 近代的になってきた。ディップを使ったり。実はこれはお弟子さんに教えてもらった。負うた子に教えられです。
 
*後継者のためにつくった鬘
 
坂本 お弟子さんは何人ですか。
名越 二人です。一人は女の子で一六年になり、もう任せておいてもできますが、もう一人はまだ三年程前からです。
 文楽の場合は、部分鬘といって前と後ろに分かれていて、それを公演ごとに取り外して次の役に栫えるんで、この形が次の公演では、もうなくなってしまうんです。ですから六年程前から、劇場の近くのマンションで一〇〇点以上の髪型をつくってきた。後継者がきた場合に、こんな演題が出たらこういう頭だと教えられますから。
 文楽の演題は一〇〇程あり、一〇年程かけて出ます。ですから、実際に目にして確かめてというと一〇年かかる。そのために鬘をつくり出したんです。
坂本 いずれは全部。
名越 そうね、まだまだかかる。たとえばさかやき月代の鬘なんかは、展示するためには木の台、たとえば歌舞伎で使っている鬘台をうまく人形型にしてつくるとかしないといけない。そういうのが一四、五あるんです。
坂本 ところで、この毛は全部人の毛ですか。
名越 人毛とヤクというチベットのウシ科の動物の毛です。添え毛というのはヤクの毛です。ヤクの毛はもともと黒いのですが、茶色っぽいので洗髪して真っ黒に染めています。白い種類は数が少なく、ほつす法主や大名行列の毛槍につけたりします。人毛は日本ではショートカットにしたり、パーマをあてたりしていますから使えない。中国からの輸入です。鬘店が輸入して宇和島の工場で結びやすいように加工しています。
   
   
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*多くの人に見てもらいたい文楽
   
坂本 文楽はすごい感動しますよね。
名越 見出すと、だんだん理解される。初め見た時は言葉もわからん、筋がわからんと。何べんも見てるとわかる。食わず嫌いの人が多いんですが、一人でも多くの人に見てもらいたいね。
坂本
私も初めて淡路島で人形浄瑠璃を見て感動しました。小学校でも中学校でもがんばっているし、町の人も、小さい子からお年寄りまで。
名越 淡路は植村文楽、つまり文楽発祥の地ですからね。
坂本 学校の授業とか、もっと身近に見に行く機会があったらいいんですけどね。
名越 今、つくっているのは高津小学校から頼まれたもので、これは先生がつくった頭なんです。今度公演をするんですが、なかなか熱心ですよ。ちょうど劇場が高津小学校の跡だったことから、文楽を取り入れたいと。勘十郎さんが教えに行ったり、浄瑠璃も習って、去年も櫓のお七をしましたが、なかなか上手です。
 文楽というのは、こういう活動をしたり、また海外公演とか文化交流にものすごく貢献していると思います。
坂本 昔と比べてお客さんの層というのは変わりましたか。
名越 年齢層が低くなりましたね。昔はおじいさん、おばあさんの年代の人が多かったが、最近は若い人が増えてきました。一時の外国一辺倒から、日本の文化、いいところがわかってきた時代になったんでしょうね。
坂本 一番苦しかった時というのは。
名越 もう初めから苦しかった。五〇年前はお客さんは入らないし、逆にだんだん世の中、高度成長の時代になってきたから、余計に目立つんでしょうね。文楽は松竹座でもう底辺で。戦後、みつわ三和会とちなみ因会に分裂していたんですが、それが合併して文楽協会ができ、それから国の予算とかちょっとましになった。それで昭和五九年に大阪に国立文楽劇場ができてということですが、まあなんともいえないですね。
坂本 でも続けてこられたから、昨年、無形文化財選定保存技術保持者の認定を受けられた。
名越 そう、結局、この道一筋にやってきたからで。後は後継者がうまく育ってくれることですね。

   
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