ほとんど一人で仕事をしてきた。
苦しかったこと、いろいろ誘惑もあったけど、
一人という責任が私を支え、
今日まで続けてこられたんだと思いますね。
後は後継者のことが唯一氣がかりです。 |
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| *昔は専門の床山はいなかった |
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| 坂本 |
鬘師と床山は分かれてたんですね。 |
| 名越 |
私の場合は、両方に師事して自然と一人で鬘をつくり鬘を結っていますが、歌舞伎では現在も鬘師と床山は分かれています。 |
| 坂本 |
髪型もたくさん種類が―。 |
| 名越 |
文楽の場合、だいたい基本は一二〇種類くらいを覚えないといけません。その基本からいろいろ変化させる。同じ髪型でも掛け物とかくしこうがい櫛笄の変化でまた役が変わります。
佐藤さんに付いたのは三年程で、それからはずっと一人です。もう夜なべしたり、劇場で寝泊りしたりもしました。当時、時代劇が盛んな時で、あるテレビ局から話もあったのですが、もう、その時は佐藤さんもお亡くなりになっていて私一人で、責任がありますからね。まあ続けていてよかったんでしょうね。
ですから、わからないことは人形遣いの師匠から聞いたりしました。人形遣いの師匠も私の師匠です。
戦前は、床山というのは専門がいなかったんです。だから武家の娘を町方の娘の髪にしていたりと、案外間違ったこともあって、それを手直ししたりしました。歌舞伎の役者さんは、自分で鬘をかぶって研究しながら、いわゆる時代考証とかしますが、無頓着な人形遣いの先輩もいたんですね。
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| *油を使わずに髪を結う |
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| 坂本 |
だんだん形とか、やり方が変わってきたとかということはあるんですか。 |
| 名越 |
それはあります。江戸時代は頭に穴をあけて毛を入れたり、猫の皮を土台に引っ付けたりとかもありましたが、今は銅板です。こういう変化はあります。髪型でも女形は固いびん鬘つけをしていた時代もありましたが、戦後はふわっとした髪型になった。頭はごふん胡粉という貝殻の粉とにかわ膠を混ぜた塗料ですから、歌舞伎みたいに柔らかい鬘つけだと、染み込んで色が塗れないようになる。ですから油を全然つけず、さら毛で結い上げます。 |
| 坂本 |
でもきれいにまとまって。 |
| 名越 |
そう、まとめるのが大変。特別の櫛で結い上げてからヘアスプレーを。 |
| 坂本 |
えっ、スプレーを。 |
| 名越 |
近代的になってきた。ディップを使ったり。実はこれはお弟子さんに教えてもらった。負うた子に教えられです。 |
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| *後継者のためにつくった鬘 |
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| 坂本 |
お弟子さんは何人ですか。 |
| 名越 |
二人です。一人は女の子で一六年になり、もう任せておいてもできますが、もう一人はまだ三年程前からです。
文楽の場合は、部分鬘といって前と後ろに分かれていて、それを公演ごとに取り外して次の役に栫えるんで、この形が次の公演では、もうなくなってしまうんです。ですから六年程前から、劇場の近くのマンションで一〇〇点以上の髪型をつくってきた。後継者がきた場合に、こんな演題が出たらこういう頭だと教えられますから。
文楽の演題は一〇〇程あり、一〇年程かけて出ます。ですから、実際に目にして確かめてというと一〇年かかる。そのために鬘をつくり出したんです。 |
| 坂本 |
いずれは全部。 |
| 名越 |
そうね、まだまだかかる。たとえばさかやき月代の鬘なんかは、展示するためには木の台、たとえば歌舞伎で使っている鬘台をうまく人形型にしてつくるとかしないといけない。そういうのが一四、五あるんです。 |
| 坂本 |
ところで、この毛は全部人の毛ですか。 |
| 名越 |
人毛とヤクというチベットのウシ科の動物の毛です。添え毛というのはヤクの毛です。ヤクの毛はもともと黒いのですが、茶色っぽいので洗髪して真っ黒に染めています。白い種類は数が少なく、ほつす法主や大名行列の毛槍につけたりします。人毛は日本ではショートカットにしたり、パーマをあてたりしていますから使えない。中国からの輸入です。鬘店が輸入して宇和島の工場で結びやすいように加工しています。 |
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